無駄とみんな思っていながら、なぜ続けるのか
みんな同じ時間に通勤する無駄
最寄りの駅の改札を入ると、改札から出てくる同じくらいの人数の人たち。会社のある駅で降りると、乗り込んでくる同じくらいの数の人たち。職場を交換をできないものか、といつも思います。
しかもみんな同じ時間、同じ曜日に出社することで、異常な乗車率の満員電車になるわけです。なぜみんな同じ時間にするんでしょうね?痴漢に間違えられないよう、無理な体制で手を上にあげるなどという努力までして。
2019年のゴールデンウイークの10連休を、誰も喜ばなかった、なんていうのはいい例ですね。庶民にはあたりまえの感覚ですが、エラい人はそんなことすらわからないわけです。
通勤時間だってコストです。日本全体でどのくらい無駄な時間を費やしていることでしょう。そこで疲れてしまうことも、生産性を下げる大きな要因です。
リフレッシュも必要、と福利厚生で、誰もいかない施設と契約するくらいなら、毎日の通勤での消耗を見直した方が、よっぽど効果があります。
時差通勤やフレックスを導入したり、在宅ワークを認めればいいだけの話です。有給休暇の取得率をアップさせるのもひとつですし、半休制度を作るのもいいですよね。わかっていながら、それに手を打たない、それが日本のあたり前だから、なんて思っているのは麻痺しすぎです。
意味のない残業を続ける無駄
やることがないのに、帰りづらいから残業、なんていうのも無駄の極致です。
その分早く帰って、英気を養ったほうが、会社にも本人にもいいのに、なんでそんなことすらできないのか不思議です。
「残業する人間を評価する」、と公言していたオーナーや、暗黙の了解で、20時まで会社にいることをルールにしていた会社を見てきましたが、それが生産性につながっていたとは、到底思えませんでした。
土日の夜10時過ぎに 覇気のない、暗い表情で仕事をしている人たち。今やるべき仕事があるからやっているわけではありません。帰りづらいから、無理やり無駄な仕事を作り出して、遅くまでやっているわけです。
残業を推奨したりすれば、そうなるのはあたりまえです。なぜそんなこともわからないんでしょう?パーキンソンの法則なんて、もう60年前から言われていた話ですよ?水で薄めた仕事をする社員を評価とか、いつの時代の話ですか?
その会議 必要ですか?
無駄な会議。もう聞きたくないくらい、よく聞く話ですよね。今日もそんな会議をしてきましたか?本当にお疲れ様でした。で、なにか生産性のあるものは生まれましたか?
下の人間は発言をしづいら雰囲気、意を決して発言をしても否定ばかり、でも、エラい人が発言するとみんなでそれに倣う。それなら、最初からエラい人の案を、決定事項として通達すればいいじゃないですか。
議論すべき「議題」があるから、「会議」をおこなう。ではなく、「会議」があるから、そこでやるための「何か」を用意する。そんな会議やる意味がありますか?
私が以前いた会社では、各地から、交通費を使って本社に集まって月1回の会議をおこなっていました。内容は先月の数字の報告です。
それを翌月の中旬にやるわけです。もう月の半分が終っています。結果の数字なんて、目で見ればそれでわかります。なぜ集まって、口頭で読み上げる必要があるんでしょう?
その会議で、「先月の数字は、資料の通りです」と発言したら怒られました。意味がわかりません。つまり、口頭でひとつひとつ説明して、重箱の隅をつくように茶々入れする役員たちに、あたふたしながら弁明する姿を見せる。上の人たちは、それを求めているわけです。
この会社のやっていたのは、「会議」ではなく、「数字の報告会」です。それは、どんな成果であろうが、なにかしらの難癖をつけて、部下たちを叱責するためだけに設けられています。
つまり、決して超えることのできない壁として、自分の権力を見せつける場なわけです。実際の能力がない裏返しに他なりませんね。まさに勝ち逃げ世代の能無しの思考です。
自分の保身のために、部下に「無駄な仕事」をやらせる
いまだに人件費はタダと勘違い
いまだに社員の人件費はタダ、なんて考えをもっている会社が多いんでしょうね。
長時間労働=高い生産性 なんて右肩上がりの時代の幻想で、これからも乗り越えていけると、本気で思っているんでしょう。残業させてやらせればいいし、辞める手前まで酷使すればいい、どうせそのコストは、みなし残業に含まれていますし。
そりゃあ短期的にはいいでしょう、でも、それをやっていた人材がいなくなったらどうするつもりなんでしょう?時間給パートに変えたら、逆にコストアップした、なんてよくある話です。
一人当たりの時間生産性、成果のある仕事を、短時間で終わらせる。そして、きっちりと定時に帰らせる。これを本気で考えている会社でないと、これから先は厳しいでしょう。
会社の生産性より、上司のための仕事をさせられる
本当の意味での仕事をしていないから、実際の現場がわからない。なので、ダメ上司やダメ経営者は、自分が安心するために、会議だ報告書だといったものを大量に部下に提出させるわけです。
エラそうにしておきながら、本当は自分に自信がなくて、不安で不安でしょうがないから、それを埋めてくれるようなものを求め続けるるわけです。
そして、下の立場の私たちは、 そこにかける時間が多くなるわけです。 社内での評価のほうが、給料に直結しますし。そこを重視して、うまく立ち回る人たち、本気で気持ち悪いです。
そして、そういった仕事はお客様に対してや、商品やサービスの向上といった、本当の意味での会社の成長には、なにも寄与しません。結果、会社は衰退していくわけです。
時間はコストです。まぁヒマなエラい人たちには、そんな考えはないのかもしれませんが、昔からはびこるこういった悪習をやめないと、先進国で最下位の労働生産性からの脱却はできないでしょうね。
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